| さすが、わんこさん!
終の車、第2弾ですか! とどまるところを知りませんね。弱気モードの私からすると、羨ましく、その意気込みに感嘆します。
こうなったら、妄想<煩悩⇒現実化 ですね!
この際、すこしリストラなされて、第2弾を実現なされたらどうでしょう。
やはり(私などは)、台数が絞られると「あちらもこちら」もというように気を回すストレスから解放されます。もちろん、楽しみの範囲も狭まりはしますが、この二者でどちらを優先するかは、「年齢に応じて棲まう世界」と連動するものかと。やはり年を経た者にはその者なりの加齢の仕方があるかと思います。
消極的に言っても、たとえばリストラすれば、その分あきらかに、集中力が増すので、一台一台をより濃密に楽しめます。高額なメンテも、台数を絞れば、そのときに必要だった税金や保険などを前提に考えるのもよいかと。つまり、かかるコストは下げないリストラです。これは、加齢とともにあちこちに気を回すことから自分を解放する手だてです。このことは逆にいえば、いま・ある・クルマと「愉しむこと」に没頭する時間の確保に繋がります。
より直裁にいえば、歳をとったら、かぎりなくストレスから身を守るべきかと。受容力も対応能力も、体力も精神力も、そして残りの時間もどんどん縮小してきているのですから、ここでこそ「できること」を絞って、それをより貪欲に獲得していくしかありません。古稀の声が聞こえ始めたら、いま出来ることをする上で、これまでできたことで、いま余剰となりうるものを削減することもよいのではないでしょうか。それが早ければ早いほど、つぎのステージを愉しむ時間がよりゆったりと充実したかたちで与えられるということかと。
最高級のスーツをいくつも並べて、TPOに応じて着替えるのもオツですが、この際日本では着ていくところがどこにもないほどの超高級のもの一〜二着に絞り込み、それで日常をこなしてしまう、というのもアリかと。若年・中年には似合わない、やっても浮いてしまうような「身のこなし」の話です。若い頃に縦目ベンツと奮闘してこられたわんこさんの、そしてその在り方をずっと正常進化させてこられたわんこさんの「今から」を演出するまさにうってつけの「身のこなし」ではないでしょうか。
こんな風に思えるようになったのも、銀CLのおかげです。私ごときがCLに乗った姿を人に見られるとき、それなりに人生を歩んできたうえでの最後に近い車であろうこと、車が好きなのであろうこと、などを見てもらえると思っています。また、知りあいの場合は「往年(ここが重要)のドイツ車」と言えば、また私のことをそれほど知らない人に声をかけられたときは「中古ですよ、運転手は大古ですが、、、」と言うと、それでもうOKです。それがわたしの「かたち」となっています。すくなくとも、そのように自分で考えることをさせてくれる銀CLなのです。
tiはこのまえショックを4本換えたし、プラドは先月タイミングベルトを替えたばかりですが、私の車への思いの成長とともに現れてきてくれたそれらとは惜別し、しばらくはCLに魅了されまくり、またCLを溺愛し、終の車No.2への煩悩を(ゆっくりと)フル回転させようかなと。 |
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