| わんこさん!
私は銀CLのおもてなしに「ご満悦」の日々です。このおもてなしの背景には、確たる信念というか思想があると思っています。
メルセデスはその標語が「最善か無か」でした。W124の頃(私はW201に乗っていましたが)、それを心底感じていました。なにしろ、「理屈」を付けて返してきます。
「何故こんなにステアリング径が大きいのか?」→「パワステが壊れたとき、腕の力で回せるように」
「何故コンソールはこんなにテカテカしているのか?」→「事故にあったとき、パネル類が飛び散らないように、厚いクリアコーティングをしているため」
等など。
20kmでフルブルーキかけても、100km+αでそれをやっても、変わらない安定性能でした。異常なまでに太いドアヒンジ他、各所にまさに「最善」を求めた跡が認められました。W203あたりから、そうした「思想」が希薄になったように思い寂しく感じました。メルセデスベンツには、こうした根幹における敬うに値する「筋」が入っていたと思います。
かつて日産のレパードが発表されたとき、仰々しくその斬新性がアピールされたのを覚えています。いかに「行き届いているか」が声高に叫ばれました。忘れもしない「世界初」装備のアピールがありました。「世界初のミラーワイパー」でした。たしか報道陣も失笑したとか。私自身は、「他にやることあるだろう。肝心なことはできないからそこでお茶を濁しているのか」と感じたのを覚えています。また、マークUの「5人の会」とかいう宣伝のシリーズが続いて、およそマークUとはダイレクトに結びつくことのない高邁な話が展開されていたのも覚えています。どらちも、ある意味で「おもてなし」(の演出)。でも、背景というか根幹がまったく異なります。次元が異なる。
メルセデスベンツの安全性と高速性は、人間が普通に買えないもの、つまり「命」と「時間」とを提供してくれる、まさに哲学的なオファーなのでした。とりわけアウトバーンでは、他の車より楽に早く目的地に着けば、その時間、コンサートにも、食事にもかけられる。そうした思想から発せられている「おもてなし」です。
最近では国産車のレベルもものすごく上がってきましたし、メルセデスベンツも、相対的にはかつての高処にいるとはいえません。かなり接近してきましたが、さてその「背景」にあるものはどうでしょうか。これは、単純に「見て、来て、触って」わかるところを超えたものだと思います。メルセデスには、乗り込むときに、シートが動いて迎え入れてくれる、このことが、たんにコンビニエントとして、いま・ここで・感じられるだけのものでなく、永年所有して、一緒に過ごし、そこでジワジワとそれこそ皮膚から染みこんでくるものを思われる装備であるような気がします。単なる便利な装備ではなく、その便利さを提供することをさせる思想があり、装備はその結果にすぎないと。この思いには期待と贔屓と、自分の選択に対する自己防衛があります。さてさて、どうなるか。乗り続けるなかで、期待通りにいって欲しいですね。
なにしろ、いまは日々満たされています。「外野」から聞こえる気になるノイズは、ポルシェが電気自動車にも「ターボ」なる名を付したこと、車ネタではないですが、ライカがデジカメなのにかつての巻き上げレバーの位置に同様のかたちをしたものを取り付け「指の置き場」としたこと、こういった老舗の製品に見られる出来事に、ドイツ製品の「現在」に、ちょっと不安をもつ次第です。
わんこさん!
これらかも「おもてなし」を享受すべく、こちらもCLを労り、そして愛でていきましょう。
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