切れる? 子供達


最近、中高生の痛ましい残忍な犯罪が起こっています。小学校では学級崩壊が起こっている。
子供を持つ親にしても、心配であり、深刻な問題です。果たして何が原因でどう対処するべきか?


ある時、診療所に学校から連絡がありました。中学3年生の男の子が前歯を強く打って
治療を受けたいとのこと。ひょろっと背が高く、顔色が白い子が来ました。
目はうつろで、とても体は弱々しい感じ、でも体から何かを発していました。

見れば、唇は腫れ出血し、前歯は一部欠けグラグラになっていました。
本人に聞くと、友達にふざけられて顔を打った、とのこと。憤慨している様でした。
反応が無表情でどう思っているのか想像し難い感じでした。

麻酔をし、神経の出ている歯の神経を取り、矯正用の四角の断面のワイヤーを前歯に合わせて
曲げて、透明で歯に付く接着剤で固定しました。出血の中で少々難しかったです。
周囲を消毒し、噛み合わせをチェックして終わりました。一生懸命に治療したつもりでした。

「少し痛いけれど、これで、グラグラな歯は抜かないで済むと思うよ。化膿止めと痛み止めを飲んでね。」

その子は、無反応で会釈もせずに帰ってゆきました。何か変でした。

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小一時間後だったか、彼が痛いとのことで電話が来ました。
私が電話に出ると・・
    

   いっってぇ〜〜ん だ よぉーー!


私も驚くと共にムッと来ましたが、電話では状況が見えませんから様子を聞き出さなければなりません。
でも、出来るだけの治療をした私としては、彼の態度にどうにも納得がいきませんでしたので、

 私「ね、君、そこにお母さんとか誰か居て、そう言っているの?」

と聞きました。そうしましたら、一人だとのこと、その後普通に話をしだしましたので、今の状態で様子を見てもらい
たいとのこと、痛み止めが足りなくなったり、痛みが酷くなるようだったら、来院する様に指示しました。

その後、何回か治療を行ったのですが、あまり差し障りのない会話しかせずに治療を終えました。
彼の、うつろな目、話し方から、何かあったら*切れる*とでも言いましょうか、受験をひかえて凄いストレス
でもあるのか?世間なぞどうでもいい、ってな感じが伝わってきました。私達の中学生の頃から見れば、
一部分はとっても大人、ある面苦悩が感じられたのであります。人がどう思うが関係なし、人間関係なんて
どうでもよいと言う雰囲気です。
ある種の狂気みたいなものがあったと言えば言い過ぎでしょうか・・怖く感じたのは事実です。


その半年後くらいでしたか、彼がまた治療に来ました。

私達スタッフでも、彼に関して話し合ったので、どんな対応をするのか興味がありました。
相変わらず無口でしたが、受験も無事希望通りに済んだとのこと、そして治療が終わって最後に
「ありがとう」又は「どうも」、と言ったと思います。終わった時、軽く頭を下げていました。

何か極まった様な切迫感は消えていました。私もまともな反応があって嬉しく、彼の為に何とかしてあげたい
と思ったものです。あの時、激していただけでは、彼の一部分も見られなかったのではないか?と思いました。

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今思っても、彼が学校で受けた傷。それがきちんと対処されていたのか?
当時、彼は何を大切に思い、何を目標にしていたのか?
ストレスの原因は何だったのか?私にぶつけてきた憤りの元は何だったのか?
友達とはどんな人間関係でいたのか?
心の中のバランスは取れていたのか?ストレスは受験だけが原因だったのか?

あれこれ考えました。


中高生が、人として信じられない様な残忍な犯罪を起こしてしまう。

他人への暖かさ、命の大切さ、心の痛みを分かち合える心、善悪の区別、重要性の順位
それを見失う程忙しかったのか、親とか友達とかと考えたり触れあうことが無いまま、過ごしてきたのではないか?
と思います。

私達、親、社会は果たして子供達に、何を目標にすればいいのか?何を大切にするべきか?
真剣に提示してきているでしょうか。もしかして、対して重要でない、個性を認めない、心の豊かさの少ない、
社会性の乏しい、利己的な考えを恥としない、貧しい価値観しか提示していないのではないかと
反省してしまうことがあります。


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話は脱線しますが、私が子供の頃、親に聞いたものです。

私「ねえ、一番偉い人は誰?」

親は、内閣総理大臣とでも言ったか、父親と言ったか、真剣に答えてくれました。

でも、今はどうでしょう。責任のある立場の人が、嘘と軽い言葉を話し、中傷、犯罪があって当たり前です。
誰も、言葉を信じず、不信と馴れ合いが当然と思われている。自分だけが良ければいい。
したがって、子供達も親の認識と同じになるでしょう。

一国の総理大臣が、常人では耐えられない様な激務と、精神的負担の中で最善を尽くしてきたとしても、
言葉で、「不退転の決意、総力をあげて実行する。」と言った後、実行できないで「○○改革できませんでした。」
で済ましてしまっては偉いとは言えないと思います。私が子供の頃、偉いと思う人の像とは全然違うのであります。

個人的には、総理大臣には例え何億円の給料を出してもいいと思いますし、女性関係がどうであろうと問題外です。
でも約束したことを失敗したら辞職、極端に言えば、命を張ってみせる人になってもらいたいですし、リーダーにしたいと
思うのであります。

いい学校に行き、仕事を頑張って、家族の幸せの為に尽くすことだけでも大変でしょう。
でも、その後に社会に対してすべきこともあるでしょうし、例え経済的に成功しなくても、評価されることは
沢山ある筈です。

 本当に大切なのものは何か?

私達がいつも自問しながら、子供達に見せて行かなければならないことではないかと思います。

その前考えてしまうことが沢山あります。皆さんはありませんか?

今の日本は、努力して成功すること、税金を沢山払うことが社会的に貢献していること、お金持ちになること、
が褒め称えられているか?勉強することが大切だと真剣に思っているか?目標とされているか? 
努力する人が評価されているでしょうか?くだらない平等主義によって教育の現場は無気力になっていないか?
人として恥ずかしい事を常識として共有することを怠けていないか?個性とはき違えていないか?
人のせいにすることを恥ずかしいと思っているか?
悪いことを悪いと言えない程、自信を失っていないか?責任を負うべき人が負っているか?
何をもって大人と言えるのか?社会、国の為に何をすべきなのか?


貧困で、おかしい価値観の家庭、社会の元では、夢も本当の優しさの無い世界では、子供も*切れる*まで
追い込まれてしまうのかもしれません。

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歯の治療を通して、他の病に対しても感じることがあります。精神的な疾患を患っている人も思いの外多いと
感じます。患者さんとの人間関係で、教わることも沢山あります。未熟で充分な対応が出来なかったことも
あります。

今回の、子供の事を考えるにも、まず自分の成長から考えてしまったのでありました。

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